先日めずらしくダンナとケンカをしました。
ケンカ、といっても
「ダンナがついにひさびさ私の逆鱗にふれた」
というほうがニュアンス的にあうだろうか、
基本的にほとんどのことはおとがめなしな我が家ですが
それでもダンナがまんがいちなんらかのやばすぎるタイミングで私の地雷を踏んだ時、
それは米ソの冷戦状態のごとくにヤバイ。
地雷を踏んだことに気付いたダンナはいち早く総低姿勢で謝罪をしてくるものの、
簡単にけろりと許すという行為が悔しく、本意ではないにもかかわらず
かたくなに意地を張り続けて修復に時間をかけてしまう自分が特にヤバイ。
とはいえ和解後数日たっていまさら理由を思いだすとなんだかわりとしょうもない。
基本しょうもないことはよくわかっているので
他人が介入しても意味不明でばかばかしいだろうという理由から
渦中にいるあいだ私は誰にも決して話さない、
(そのわりにダンナはいち早く私の母にちくっていた想定外事実後日発覚!)
とにかく、ダンナもダンナだし、私も私なのです。
夫婦喧嘩は犬も食わないってよくいうでしょう。
でも二人三脚型の私とダンナに関しては
一年のうち360日くらいは運命共同体としてみごとに健やかにファンキーに
人生の歩を進めているからこういう数日間の冷戦状態のダメージはだいぶ大きい。
それはお互いにとってまるで心臓停止して脳だけ生きてる?
または脳死してるけど心臓は動いている、
みたいなとてももどかしく不完全な状態。
限られた人生の時間のなかで共有すべきこと、一緒にしなくちゃいけないことが
たくさんあるわれわれにとって
この手の時間の停滞は実にもったいなく歯がゆい。
止まるより
進んでいたいのさ。(オザケン風)
だから
ケンカとか気まずいのとかって、
やっぱ率直にやだなと思う。誰もがそうだとおもうけど。
おもうに、
結婚をとりあえず一生に一回という前提として、(※回数は各々自由で!)
その相手と絶対今回の人生超絶やりきる、
と
一度決めたからには