余計なものなど
もってちゃいけない。

スーツケースを片づけ中、
旅の荷物解体をしていてきづく、

よかれとおもって旅先に持って行ったけど、


意外と全然つかわなかったもの=余計なもの、
結構あったのね、、
プイ、、、

私は
もっととびきりかろやかに、
気負うことなく、

身軽に気軽に、
ただうまく移動ができるようになりたいだけ。。

でも同時に
悔しい忘れ物は絶対しちゃいけない。。。これも掟・・・

そんだもんで私は旅のパッキングと始終格闘しているというわけだ。



まず、いつもしていること。
とりあえず家にもどったら
すべて一気に片づける、

洋服から、
コスメから、
アクセサリーから、

Chic Sick Chic Paris/Storytelling
果ては綿棒一本に至るまで、
所定の位置にすべてのものをいったん元にもどす。

たとえまたこのすぐあとに移動を控えていたとしても
すべてのものは家のあるべき場所に一度全部もどす。

そうするのはちょっとした儀式。

私がいつもどこかに行っても連続の移動はできるだけ避けて
一回フランスの家にしきり直しに戻るのとおなじ。

もの達にも、私と同じくらい
家にもどる権利がある!彼らにはそれぞれ住所があるし 笑

そしてすべてを元にもどして、
また次の移動の時には
一からやりなおす、
そういう作業もまた儀式。

儀式というのはあれだ、きっと脳のキャパ越えて中が乱れそうなときに
ものごとの順序なんかを整頓してくれる役割があるのだ。
My ギシキ

仮にもしもこれらの儀式をちゃんとやらないで
軽率に次にいってしまうと、、たぶん今度こそなにか大きな
失敗をおこすんじゃないかってそんな気がする。
そもそも器用でもないくせに調子のるんじゃないよ、と。
そんな不吉を避けるためにも脳内整理と身の回りの整頓はとても重要。
だから儀式。

そしてすべてを片付け終えて、、、

ほっとしてショウガティーなどすすりながら
ひととおり片づいた家の中やクローゼットをながめて

ああ、
そういえば来年の夏はどんな帽子をかおうか?
それにしても黒いリボンの色違いのも
やっぱり今年買っておけばよかったんじゃない??
かばかばあたしのかば、、

なんつってそんなさして重要でもなさそうであるけど女子ならだれもが
心くだくような事情に思いをはせる瞬間、
おそらくそれは私にとってとびきり至福の時にちがいない。

そしてそんな小さな幸せの感覚の積み重ねは
また次なる行動への大いなる肥料となり原動力となる。

ところで今日の「恋してアニマル」のコーナーは
ハイエナ。
世間でのたとえとか、(ex:「彼はハイエナのように卑劣な男だ」etc…)
映画やミュージカルのライオンキングなどのイメージで
「ずるそう・なんか悪そう」というイメージが強かったけど、、
実物を目の前にしてみれば
「ちょびっとやさぐれただけのピュアなドッグ♪」みたいな雰囲気で
(だけどジャコウネコ科)全然憎めないっていうか
そもそも憎み要素などまったくゼロ、愛嬌じゅうぶんある!
だから結局世の中で言われる既成概念とか思いこみとか噂なんてものは
全然アテにならず、動物でも、人でも、この世のことはなんでも
自分の目で実の物見てからモノを感じるようにしようって、
サファリなど行けばそういうふうにおもう機会が
どんどこ増えるのはまちがいないから。
