学生時代、当時のBFの実家に
遊びにいったときご近所観光というかんじで
連れて行ってくれたのがイギリス、
ノース・ヨークシャーのウィットビーWhitby
というところ。廃墟な修道院やさみし気な港町が
印象的な街だったのだが、その時何度も耳にしたのは
ブラム・ストーカーがあの有名な「吸血鬼ドラキュラ」なる
小説を書いたキッカケがこの場所だったということ。
だから私、ストーカーはイギリス人だとすっかり思いこんでいた!
んだけど、さきほど調べたらおもいきりアイルランド人では
ありまへんかーしかもダブリンはオスカー・ワイルドと同じ大学出身、
→愛と叡智とワイルド☆ダブリン観光トリニティ・カレッジでケルズの書
こないだのアイルランド旅行はちょっとした思い付きで
訪れただけなんだけど、奇しくも同じ年にドラキュラ関連の
ルーマニア、アイルランドがかぶっててなんとなく引き寄せる偶然効果✨
よって、「ドラキュラ」はアイルランド人の作家が、イギリスの港町で、
ルーマニアの歴史的人物に着想を得てイギリス舞台に描いた
物語というわけだ。これにてゆかりの地はほぼおさえたといえようヤッピー✌
はい、では昨日のつづきでブラン城探検
城内のスペースにいきなりオモチャコーナー、
なんだか唐突すぎる展示、、ルーマニア人の感覚ておもしろい。
印象的な古めかしいテディベア人形、
ここらへん、そういえば熊とゆかりが深い。先日読んでいた
オーストリア皇妃シシーの小説の中で息子のルドルフ(心中で有名)
が「カルパチア山脈に熊狩りに行く」なる一説があるくらいなので
昔からかなり熊が狩られている地のようである。
ルーマニアの熊についてはまたそのうち記させていただこう。?
この部屋はルーマニア王子ニコラエ(1903-1978)の書斎
共産主義になる前はひととおり王族なども
いたりしてわりと周辺ヨーロッパと同じような
感覚だったのではないかと思われるルーマニア、
共産主義とか社会主義ってやっぱりちょっと
ロマンス要素が欠けてしまうから趣味じゃないな。
このお城は1918年、ブラショフ市が時の国王フェルディナント1世の
王妃マリア(ヴィクトリア女王の次男とロシア皇女の娘)に寄贈していますが
1948年王族は追放され国のものに。2006年にはマリアの
娘イレアナの子孫が相続するもルーマニア政府に売却交渉中。
(美少女イレアナと母マリア)
確かにいまどきこのようなお城維持費とか相続税とか負担ばかり
なのかも、、大きすぎる家と土地も考え物である。うむ。
こちらはマリアのご主人フェルディナント1世。
二人の仲はあんまりよくなくマリアの子供は
本当に国王の子なのか疑惑も満載。王族にも色々あるよね?
とびきり素敵なアンティークレースのドレス、
好みなだけにぞっこん見入ってたらダンナが
私に似合いそうだとニッコリ。ダンナいい子だな。ウムウム?
ブラン城、ずっと実物気になっていたので
本当に心から来れてよかったと思った!
興味と好奇心こそは私の人生の駆動力、、、
鉄があっついうちに、なんでも興味のあるうちに、
体の動くうちに、自分の目で見たかったものを見ると
またひとつ心が豊かになるのさ?✌
体力も日々これにちゃんと追いつくよう、
それがゆえに運動しっかりせねばと常々思ふ今日この頃
応援クリックしていただけるとありがたい!!↓↓↓