あらゆる面において経験値が上がる
ということ、それは精神的成長、見聞、
知見の向上などに直結するだけに喜ばしいことも
多いけどそれと同時にこの世でのリスク経験値も
上がるということなのだといつも心にとどめてはいる。
たまにフリーダ・カーロの絵や写真など
見ては漠然とメキシコのことを考えたり
する日があって、そうしているとおのずと
ロシアの革命家レフ・トロツキー(1879年-1940年)
の暗殺のことなどに思い至る。
20世紀初頭、少し前までレーニンと共にあの巨大な
ロシアの革命立役者として表舞台で大活躍していた
というのに、ある日を境にスターリンの刺客による
暗殺に怯え追い掛け回されるという悲劇的人生へと
暗転したトロツキーが最後の逃亡・亡命先に選んだのが
メキシコであったが、かの地で遂に命を奪われるその瞬間、
「うわー!!まさかの!!今?ここで!!??」
と思ったかもしれないよなとしょっちゅう想像してしまうのだ。
ロシアとメキシコじゃあまりに言語も風土も
気分も違い過ぎるから緊張感のテンションとか
どうだっただろう?とんでもなく厄介な目に
遭うのが想定外まさかの慣れぬ異国、それは
やっぱりなんだか暗い運命の気分を
さら助長するものだったろうか?
それにしたって常時暗殺を恐れる
暮らしは精神に随分悪かったろうなどなどと。。
閑話休題
すべては自らの責任の上で行っていて
なにより長年今までのようなライフスタイルを
愛していて、年中旅したりなんかして暮らす。
それでもいつか、
「まずったな」という日は来るのだろうと
覚悟もまあそれなりにしてもいるが、
今だから告白しよう、ここ数年のなかでも
2017年は私とダンナにとって精神的、
肉体的に逼迫してばかりの厳しい年だった。
中でも決定的不運の最たるものといえば
2017年8月の南アフリカ、ケープタウンで
交通事故に巻き込まれたときで
「うわー!まさかの!今日?ここ?このタイミング?!」
と心からフリーズ。心臓止まりそうっ生きた心地
しない不測の事態ってこういうことか・・
ダンナはこれまで、どんな国でも車をそこそこ
乗りこなしているし、若い頃から安全運転慎重派。
そして元来、南アフリカにはわりと来ているから
道路事情はそんなにやりづらいわけでない
というのも経験から熟知していた、、
それなのにあったんだな。
それは我々にはなんら責任ないけど、
いわゆる玉突き事故のもらい事故。。(´;ω;`)ウッ…
ある日の午前、大きくカーブで高速入った瞬間、
突然、前の車、前々の車が急ブレーキをかけ、
慌ててこちらも急ブレーキをかけた。
そしてぎりぎり止まれた。
ふう、あぶないあぶない、もう少しで追突
するとこじゃないかね。。とおもった途端、
後ろから止まれなかったトラック含む二台が
うちの車につっこんで、前後連なり全部衝突。
ひとつラッキーだったのは、
ケープタウン出発前日、元々指定していたレンタカー
の普通車を、なんとなく5~6月のナミビア旅でも
毎日SUVに乗ってたのだし、やっぱアフリカあたりは
トヨタのSUVが気分だよね??などとひらめき
デカゴツいのに車種変更していたことにより、
前後の普通車は窓ガラス全割れでボコボコだったが
私たちの車は車体前後がつぶれた程度で限りなく
衝撃が少ないほうだった。こういう時思うわけだよ、
見えない力がさりげないふりしながらもものすごい勢いで
守護してくれてるよなと。更に現実的な話でいえば、やはり
ちょっと値段高くても、頑丈な車はリアルに命を救うのだと。
だからこれを機に今後アフリカで車を借りる場合
絶対最低SUV以上が必須条件となる。
それにしても事故当時は、ひたすら色々苦しかった。
高速道路ど真ん中で起きた事故、瞬時に状況読めず
放心状態だったもののひとまず急きょ車を路肩に寄せ、
私はこれから何がどうなるやら自分でもよくわからぬまま
車内でひたすら待機。きわめつけそれまで
晴れていたのに突然豪雨が降り始め天気は大荒れ!
ずぶ濡れになりながら外に出て状況判断に奔走するダンナ、
英語は一応はできるけれどそれでもかなり訛り強い
南アフリカ人と対等にこれから事故についての交渉、
手続き、警察、病院、、どうするんだろう。。ブルブル
ひたすら助手席でびびってかたまってしまっていた、が、
しかしながら打って変わってダンナは見事だった。
私と同じくまさかの海外、予期せぬ緊急事態に
内心動揺してるだろうけど、(フランスや日本とワケがちがう)
取り乱すことなくここから数時間に渡りテキパキと
前後事故運転者と話し合い、保険会社、レンタカー会社に
電話して今からとるべき流れ、然るべき必要書類、証明材料確認、
事故関係者他3名ときちんと連携をとり、皆で警察へ行き、
幸い負傷者はでなかったので病院行きはなし、ポリスで
調書?をとって最後は握手して別れた。なにせここは未知の異国
南アフリカ、ヤバイ人物とからみがあるのでは?裁判?訴訟??
等々疑った私でしたが、皆一様に驚くほど紳士的で、私たちの
前にいた車のおじさんなども被害大きかったのに最後まで我々を
気遣ってくれてとても優しかったし、警察署も
のんびりしたかんじでゆるかった。。
とはいえ当時、詰め詰めスケジュールの我々は数時間後、
この晩のフライトでなんとしてもパリに帰り翌日には
また移動せねばならなかったから、限られた時間の中、
その後もハーツ(レンタカー屋)行って手続きしたり、
アメックスの事故保険について電話で調べなおしたり、
ダンナの緊急対処はぬかりない。
たまにとんでもない忘れ物をしたりもするし、
ものすごく若い頃から、天然成分の極みみたいな
ところをたっぷり見てきている私なだけに、いまや世界を
股にかけトラブル対応こなす雄姿に改めて心打たれた。
よく成長してるよ!
しかも「だいじょうぶ?」
と声をかければかえってくるのは
「ひとつひとつ勉強になりますね」と眩しい返事、、
フランスの二宮金次郎、薪でも背負わせようかね?!( ゚Д゚)
肉体的結果として、助手席でぼーっと座ってただけに
衝突時一瞬ズコンと衝撃はあったので数週間後(ちょい遅い)
日本にいた私はやっと脳外科でCTとかMRI検査するも
異常はなし、先生に「脳すごくきれい!」と数年ぶりに
褒められ?てちょっとにやつく。(*´з`)テヘペロ
保険に関して、レンタカー会社にはその場で賠償的に?
30万くらいお金を引き落とされたが、南ア⇔フランス間の
やりとりでやや時間要したもののクレジットカードの保険
が要求する事故証明などを提出した結果全額返金。
(それでも少しでも書類欠けてたら平気で返金なさそうだから
くれぐれも注意されたし( ´Д`)=3 フゥ)
と、まあさらっと語ると単純にハッピーエンド
のようにも聞こえるが、こうみえてわりかし心根が
素直な私は災難が身にふりかかる時、それらはすべて
天からの普段の生活見直し要請のサインだなと
直感的に感じる方。だからこの大局すればそう
大事には至らなかったように見えながらも
万が一打ちどころとか一寸の巡り合わせ悪ければ
死や大惨事に至ったかもしれぬような運命的事故の
日を境に今後の生き方と心持を変えていかねばと
強く思った。あの急ブレーキは、当時加速しがちで
止まれない濁流内にあったような自分たちを
止めるためのものであったような気がするし、
事故のショックは今一度自分たちの生活の流れを
見直すためのショックだったように感じている。
それからおもしろいのは、表面的にはそんなに顕著に
わからないけど、自分の感覚で自分を取り巻く状況が
いままでと異なる流れに入ったという印象もある。
人間の生は無常とよく言うけれど、
ああ、このことかっていうような、
風向き変われば、趣変わる。チーン
大まかにいうと「一歩大人になる時期」がきたともいえて、
今までなんとなくやんわり周りの力、若さ、甘え、ノリ、
そして勢いで守られこなせてきたけど、これから迎える
年月はダンナと二人で今一度しっかり慎重にタッグ
組み直さないといけないだろうなという感覚。
去年は事故後そのことばかり考え続けた。
実際問題、事故前も事故直後も、まあなんとかなるかな?
という毎度おなじみの気分で度重なる多忙すぎる日々を
引き続き続行していたものの、
(無謀なスケジュールの過剰組み過ぎが当時最大の問題)
我々夫婦というのはどうしても精神の状態、あり方が
共鳴作用してしまう2名セットがゆえ、お互い別のことを
していても最終的に落ちる時は一緒に落ちる。
さするに限界感じるタイミングは結局同じで、
そうなるとブチ切れ大口論もあったり、近年まれに
みるディープな話し合いもあったり、それでも
いままでならその後もまたなんとなくウヤムヤに
許容し同じ流れにゆるく戻ってしまうところだが、
もう私らの時代的にそれじゃないなという。
徹底的に話し合い、団結し、困難や問題が起きた時に
二人で踏み越える力を本格的に養わないと
はじまらないのだと再確認いたした。
それからというもの日々、お互いが心から望む生活、動き方、
他者とのかかわり方、仕事の仕方、選び方、時間の配分、
使い方、無論バカンスの方法に至るまですべてを
ひとつひとつ慎重に相談、検討しながら動くことに
腐心している。そうこうしてもう2018年も2月の
半ばにはいったが、今のところ、うまく動けていると思う。
せっかく人生が続くなら、明確なる自覚をもって
前向きにいい方向に向かう努力を極めていきたい。
皆さんにも幸ありますよう(´Д`)
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