ダンナの怪我治療とリハビリにひたすら専念していた
2、3、4月。ふだんは留守がち、どことなく
移動の中継地点のようにとらえている自宅というか、
地元というか、フランスに、こんなにじっくりと
根ざして暮らしたのはいったいいつぶりだ??
くらいのかんじでしばしば驚いてばかりの我々であった。
日々、フランスを見直したり、やっぱダメだなとおもったり、
こんなとこは結構いいなとおもったり、こういうのは
ほんと勘弁してくれよとおもったり、
気楽で、不便で、大雑把で、しょっちゅう不条理で、
時としてずいぶんやりづらいことばかりで、でも
なんかまあおおらかでゆるやかな国だなと改めておもう。
良いところも悪いところもある。いつもダンナと
話すけど、それは本当にどこにいってもおなじこと。
大事なのは、自分が重視していることに対して
ブレないとか、しっかり軸をもって世界に挑むとか、
やるべきことをきちっとやり、やらないでいいことは
ほぼ徹底的にやらない、なにかにつけてふたりで
なんでも話し合いながら将来に備えてひとつひとつ
決めていくとか、これまた改めて日々のそういった
姿勢こそが自分たちの重要なベースだなと感じたり。
忙しいとこれらのことさえつい忘れてしまうから、
じっくりと向き合う機会をもらえて今回のダンナ
超怪我オフ期間もある種有意義なものだったといえよう。
(それでも初期はちょいちょいヘコんだ!笑)
さて、そして今回わかったこともうひとつ、
ふだん、例によって「あまりいない存在」として
認知されがち(されようとしている)我々が、
ひとたびフランスにいてみた、かつ家から出れない
(動けなかった)となると
、、通常に比べものすごく人と会う。
「家って完全オフモード舞台裏」
(山羊座はオン・オフが激しいということでetc..)
を座右の銘に自分流に散らかしっぱなし、ノーメイク
廃人+日中もパジャマという堕落した暮らしを送っていた
私はもうかなり意識を変えマジメにちゃんと色々しないと
ならなくなってそれはそれは自分レベルで大変でした。
お見舞い、ヘルプの友人、家族、親戚からちょっとした
工事の人、看護師さん達(注射をしにくる)に至るまで
連日たくさんの人々が来訪するためしまいにはなんだか
もう一生分フランスを生きたのでは?とさえ思ったという。
そして段々元気になってくると来客のたび結構お酒入る、、
というわけでわりと飲んだくれていたりするときも
多かったような、、とりあえずおいしかったものは
全部写真記録。
ところでどのフランス人に飲ませても
みんながそろって「フルーティーおいしい!」
とほめたたえたのが「梵」という日本酒でした。
これハマる~♪
さて、そんな数々の訪問客のなかで唯一未成年最年少といえば
私とダンナのgodsonこと名づけ子のエミリオ10か月。
私は特にカトリックじゃないので「それアリなの?」
というかんじなのだけど神父さんからOKでたという
わけで、私たち夫婦はふたりともこの子のゴッドファーザーと
ゴッドマザー(カトリックの代理父母)となっている。
エミリオに「日本昔ばなし」を聞かせてみたら
突如口元をひきしめ真剣な顔をしてその後さめざめと泣く。
日本人だった前世を思い出しつらくなったのだろうと
ゴッドマザー勝手に推測。
その後もどこかおもいつめた表情のエミリオ
私の贈った昭和レトロアイドル人形チャーミーは
ものすごくヒットしたふうでもないような、、
まあいいわ、これの魅力はあと数年したらわかる。
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