ある晴れた日の京都、
珈琲と、コッペパン食べて
日本的なる古い街並みを眺めながらぶらり散策。






この日のテーマは「新選組巡り」ということで
京都市中京区壬生にある新選組ゆかりのお寺
壬生寺(みぶでら)へ。
江戸時代後期の幕末に京都の治安維持を目的に活動した
のがはじまりという新選組、最初は壬生浪士組という
名前だったのだとか。
「みぶ」と読むここ、壬生寺、以前からダンナの会話には
しょっちゅう「壬生浪士」という単語が頻発しており
家でもしょっちゅうみぶみぶみぶみぶ言ってたので、
ああ、これがそのミブなのね??と生ミブ見れて感動する
日本史弱めの日本人妻と勉強好きフランス人男性。
新選組の兵法調練場や武芸などの訓練が行われたという境内へ。
映画とか、司馬遼太郎の本などで有名なあの!皆さんが
このあたりでエクササイズをなさってたか、、ズィーン








境内東方にある壬生塚には新撰組局長の近藤勇の胸像、
遺髪塔や各地で亡くなった隊士たちの合祀墓など
新選組関連の貴重な遺跡が置かれています。




壬生寺から出てわりとすぐ近くの場所には新選組が結成され、
また、内部抗争のために暗殺された芹沢鴨の暗殺現場で
ある八木家住宅があるのでこちらも拝見させていただくことに。
係りの方が様々な説明をしてくださるのでそれを聞きながら
中を見学。1863年どしゃぶりの深夜にこの決して広くはない
天井の低い家の中で芹沢鴨、平山五郎ら4人が惨殺され、
凄惨な殺害現場の証拠である刀傷がいまだに残されています。




八木家の前には和菓子屋さんがあって
見学チケットのなかに抹茶とお茶菓子券が
ついているので見学後はお抹茶のみながらしっぽり




ちなみに壬生地区は今でこそ市街地化が
すすんでいますがかつては洛中に近接した農村
であったのとこの。壬生エリア見学の後は八木家の
解説係りの方から聞いた「新選組たちの遊び場」
だったという
たぶん、大胆に今的にいったら新宿歌舞伎町?みたいな
気分のところで、若い志士たちが息抜きにヒャッホー今宵は
島原いこうぜ!っていいながらウッキウキで遊びにきたので
あろうなあとダンナと語る。



現在は一切の派手さはなく突然お天気も崩れたせいか
(京都の天気の変わりっぷりはパリレベル)
さみしげな街並みであるという印象をうけました。

島原商店街でオハギを買ってすっかり
壬生浪士気分もりもりのフランス人男性であった。

