インターネットで入手したり目にする
情報は簡単だけどいうほどアテにはしていない。
何でも実際自分で経験してみないとわからないし、
世界中どこだって自分で来て自分の目で見て
そこの空気を肌で感じてみて初めて
ああこれか!ってなるから。
島根県にある松江は以前から漠然と憧れていた
場所だったので長期間過ごすことで毎日
松江や出雲を体感できて本当にラッキー。
松江では、とりわけしっとりとした日本情緒
溢れる城のお堀周り、城下町をコーヒー片手に
散策するたび咲き誇ったり舞い散る桜のおかげも
あいまって毎度夢心地になった。
江戸時代に栄えた武家屋敷の並ぶ通り、明々庵、
塩見縄手の一帯、もうなにかといちいち素敵で
ダンナとうなる。
このお堀周りの情緒あふれる武家ストリートの一角には
私の今回の松江訪問の最たる目的であった、作家でジャーナリスト
の小泉八雲ゆかりの地、小泉八雲記念館と八雲が住んだほぼ当時の
まま保存されている武家屋敷「小泉八雲旧居」が並んでいるのだ!!
興奮で胸躍る~(;´Д`)
子供の時から何度も繰り返し聞いた雪女やろくろ首
のお話、そういった日本の怪談は実に八雲の書いたもので、
しかも10代の頃初めて知ってソファーから転げ落ちるくらい
驚いたのは小泉八雲とは日本で国籍を取得してから
つけた名前で本名は
パトリック・ラフカディオ・ハーンという
名前のギリシャとアイルランドのハーフ、すなわち
バリバリのヨーロッパ人であったこと。
ちなみに「耳なし芳一」に関してだけは
ティーンになってからイギリスの映画監督グリーナウェイの
「ピーター・グリーナウェイの枕草子」という作品で
知ったのだが!おそい・・
八雲自身は、ギリシャで生まれアイルランドで育ち世界を
点々としアメリカで記者となり1890年に来日、
1904年に東京で亡くなるまでの14年間を日本で過ごし、
松江・熊本・神戸・東京の4つの都市に住んだ人
なのだけど、私にとって八雲はものすごく
「松江の人」という印象がなぜだかずっと強かった。
たったの1年3か月しか住んでいなかったにもかかわらず。
それはたぶん彼自身や作品の醸す幻想性ややたらと
雲の低い出雲の国のシュールな非現実性がマッチ
していたからだろうか。博物館は小ぶりなれども
八雲ファンなら一日いりびたりたくなる楽しき場所である♡
記念館のすぐお隣には八雲が5か月暮らした
小泉八雲旧居(ヘルン旧居) が見学可能。
この家は旧松江藩士の武家屋敷で、庭のある侍屋敷に
住みたいという八雲の希望で貸し出された。
八雲はどこの部屋からも眺められる枯山水の
小さな庭がお気に入りだったよう。それにしても
日本の古い家の開放感てなんだかすごい。
非常に視力が悪かった八雲のため
特注で作られたやたら背の高い愛用の机と椅子。
ラフカディオ・ハーンになりきって
観察を楽しむうちのダンナ・ハーン
19世紀というまだまだ閉鎖的な時代にあってすでに
自分の祖国や言語にこだわらずヨーロッパから色んな国を
まわり最後には当時としては辺境の地であったろう日本で
結婚して亡くなるなど、規格外の行動力にオープンマイドで
偏見のないものの見方をもった八雲の生き方は常日頃から
「いつでもどんな環境でも自分をしっかりもって生きていく」
というのを志す私とダンナにとってロールモデルの
ひとつと言えるでしょう。このチャンスをforever!
応援クリックしていただけるとありがたい!!↓↓↓