ゆるゆるとおしゃべりしながらお茶したり
ここまで足上がったら
人生最高だろうなーと憧れたり
プティ・パレ美術館にて、ぶらりと素敵な彫刻作品
見てまわってたら、突然サン・ジュスト(1767- 1794)の
胸像を発見してじっくり眺める。というのも、いままで肖像画
しか見たことなかった(描かれた顔はいちいちが違う感じだが)
から立体感あるとまた異なるリアリズムというか。
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストといえば、
「革命の大天使」の異名を持ち、若く、美しく、寡黙で
ストイックな恐るべし熱狂的フランス革命のテロリスト。
なにかとおっかなすぎる冷酷美青年イメージがフィーチャー
されがちといおうか、革命時にルイ16世の処遇を巡って
もめた時、処刑遂行を徹底支持し大いに影響を与えた人物でも
あり、26歳という若さで失脚し自分もギロチンで処刑される、
(人にしたことは自分に返ってくる展開)
悲劇的最後もなんだか少々神話的というか激しい
カート・コバーンというかロマネスクというか。
(その後の世を仕切るナポレオンとは2歳違い)
また、妙に過激な詩をしたためた詩人という点、
年上の革命家ロベスピエールとの密接な時期からの意見対立、
失望仲たがいのくだりもどことなくランボーとヴェルレーヌの
破滅的関係を思わせたり、文学的ヒロイック要素も
濃いめ。などなど個人的に興味が尽きない人物である。
それでまた帰宅してから、本棚がさごそ、
澁澤龍彦が書いてたサン・ジュストの
ページをひたすらに読みふける。
サン・ジュストは北仏ピカルディ地方出身、
通っていた学校はソワソンのオラトリオ派の学院だそうで、、
てか、
と今更偶然的に感動。また、若き日のサン・ジュストが
休暇中に地元に帰って密かに愛を深めていた娘さんとの
デートスポットは「付近の野原やクーシー城跡・・」
その後、サン・ジュストはパリに飛びだし
「パレ・ロワイヤル付近の悪所をうろうろし、、」
というくだりを読んで、、
私自身はスタバラテとか飲みながら
かつては繁華街で革命家のたまり場となっていた
というパレ・ロワイヤルのあたりうろうろするたび
「ふぅ、サン・ジュストもここらにいたのね、、」
と思いを馳せたりしてみる。このあたりのエリア、
今では平和的で観光客に人気だし、行くと大体人が
溢れているけどたまに一瞬どんよりした暗重さ
みたいなものを感じもする。
ついでに、ビジュアル面からさほど興味持たず(ソーリー)
わりとスルーしてきてしまった、サン・ジュストと共に
革命の同志として生きたロベスピエールについても調べてみた。
ロベピ↓
たぶん皆、初期の志とか理念、やる気、心意気は崇高でそれなりに
正しい方向性で言い分も正義もあるかもだが、ひとたび権力握ったり、
この手にあまりすぎる混乱、暴走、自分が全部仕切らなきゃ!
ひとつひとつ法律を施行しないと!何より対抗勢力つぶさないと!
とかなってくるとだんだん思想的な理想概念だけでフォローするには
限界が来て、そのうちに内輪の利権やら権力争い、やっかみ、派閥の
小競り合いとか、揚げ足取りやら内部モメのストレスやらの組織的病理に
よる疲弊、疑心暗鬼からの粛清主義モンスターなっていくのかなと思う。
というわけでロベスピエールも最後はもうだいぶ参ってたというし。。
とりあえずKYすぎもアレだが、メンタル弱っている人
を長期権力の座に置いてはいけない。
その歴史の観点から学ぶのは、平和に無名で健康な
一般人でいるのはだいぶラクで幸せということだろうか。
とにかく私は精神も肉体も平穏の極み健康第一がモットーである。
それからもうひとつ、フランス革命といえば、1792年に
行われた9月虐殺で犠牲になったマリー・アントワネットの
マブダチ・ランバル公妃(後半ポリニャックにとられもする)の、
仲がよかった舅のパンティエーヴル公が
お嫁さん斬殺されたり革命のショック諸々からくる
心労で疲れ果て1793年に亡くなったのがこれまた
ダンナと数年前なんとなくドライブ中
などなど思い出し、相当なんとなく偶然訪れている
場所も案外フランス革命関連者スポットだなーと
思い至る、そんなフランス残暑・2022。
近頃また涼しみがもどって今いいかんじ。
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