ダンナと私の会話において、1日の
うちで一回も「日本」と言う単語が
出ない日はないと断言できよう。
常に語る、日本のあんなことや
こんなこと、話したり思い出したり
なつかしんだり激しい偏り。
数日前も、いきなり同じタイミングで、
(一緒にいすぎて思考構造が似る)
ああ!今すぐ日本行ってあの激辛の
麻婆豆腐とかエビチリとか食べて
ダラダラしたいよ!!と、夢のように
語り合うme&dannaがいて。。。
でもここは日本ではなくフランス・パリ、、
仕方ないのでアジア寄せてインド料理たべるとする。
向かった店は、お世辞にもイケた雰囲気とは言い難い
ため入店さえ躊躇気味で、ほぼ期待してなかったのに、
結構おいしい・・
意外なことが起こるとしばしば感動して
黙りこくるme&dannaがいて。。
インドやっぱ嫌いじゃないんだよね・・
ハッと我にかえって、
でもさ、近々プーチンとか
なんかやらかしてフランス滅びるかも
しれないよね、という会話をしつつ、
その場合、やり残したことってあるか?
みたいなことを話し合った。で、
考えてみたら
「来週、不可避・不可抗力的に死ぬ」
と確定してたらもう買いたい物も欲しい物も
したいことも案外ないものだなと気づいた。
両親に愛と感謝を伝え、しいて言うなら
「滅びる瞬間」ダンナと二人でいられたら
それでいいと。だが同時に、それが確定じゃ
ないかぎりわからないから今すっごい
歩けて走れる超万能スニーカーを猛烈に
探している最中な自分がいて。。
などなど、このように終末的な会話が
日常になされる時代に生きている
というのもまた意味があるのであろう。
あと、そういえばコロナワクチン打つと
5年以内に死ぬ、みたいな噂もよく耳に
した。一応打ってるけど、よくわからない。
確定なら将来のための貯金とか投資とか、
がんばんなくっていいんじゃん、という
話だが、まったくよくわからないし
保証もなにもない。つまるところ
噂って真偽ガチ確認レベルに
実現しない以上は噂でしかありえず、
どうせ誰も責任とってはくれないし、
用心は好きなほうだが、根拠不明の
心配とか不安ほど意味をなさないものはない。
またある晩には、三島由紀夫のいう、
「私はただ災禍を、大破局を、人間的規模を
絶した悲劇を、人間も物質も、醜いものも
美しいものも、おしなべて同一の条件下に
押しつぶしてしまう巨大な天の圧搾機のような
ものを夢見ていた」という一節が、彼がつけた
早すぎる生の見切りに関係あっただろうかと
何遍も読み返して考えてみたりもする。
それはともかく、生きているなら
キッチンのいまいち相当整頓されてなく
乱れている棚とか鍋コーナーの引き出しを
いいかげん全部出して整理しなおさないと
いけない、そろそろサンダルとブーツの入れ替え
だなどなどやるべきこと、管理、継続が多々ある。
改装完了したカルナヴァレ美術館にも
行ってなかったよなあそういえば!
て、わけで、来てみた日。
入口から真っ白で光と開放感ある
クリーンで素敵な空間に仕上がっている。
マレのあたり、常日頃そんなに
意味もなくぶらぶらしているのに、
こんな素敵な場所があるというのを
毎度うっかり忘れている。
あまりに昔すぎてカルナヴァレに初めて来た
時の記憶がもうないのだが、改装によって
たぶんかなりスッキリ見やすくなったはず。
私はなにかと華やかな16世紀~18世紀
あたりの貴族の館インテリアの階を堪能しまくり
だったのだが、ここは一見こじんまりかと
おもいきや、全体的にかなり気合入れて
パリの先史から現代までの莫大な歴史資料を
収蔵・展示している博物館であるため、
ダンナは地下の先史、古代史資料展示
コーナーにハマって足止めとなり、
お互い興味矛先分かれすぎてて同じ
館内いるわりにほぼほぼ別行動なので
あった、、ぴえん
後半へづづぐ
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