1832年誕生、ハプスブルク家
出身ばりばり生粋王子である
マクシミリアン (メキシコ皇帝)
は、北イタリアにあった
ロンバルド=ヴェネト王国副王の
ミッションを解任され暇になり、
それで当時はオーストリア領で
あったトリエステ近郊の
アドリア海に面した断崖の
上に自ら住まふため
ミラマール城を築いたという。
元々海軍士官として有能だった
彼はお部屋の一部を船の中っぽく
していたり、ほかにも東洋風
ルームありなど様々な建築様式を
取り入れた。
ハプスブルク関連人物の
肖像画も多々あるので、
あ、あれはあの人かな、、?
などクイズっぽく見て回る
のも楽しい。
マリア・テレジア発見!
ひたすら子だくさんイメージすごい
本物のシシー(エリザベート皇妃)
も来たことあるし、
うちのシシー鴨も来たよ♡↓
さて、マクシミアリン、
兄で皇帝の
フランツ・ヨーゼフ
には息子が生まれたし、
皇位継承権も遠のいたし、
ミラマール城でゆったり
余生ぽく暮らそうかな、、
という時にふってわいた
メキシコ皇帝オファー。
振ってきたのは欲が深めで有名
フランスのナポレオン3世↓
19世紀後半、すでに世界各地で
旧社会的支配階級、特権階級による
古い世界システムが崩れつつある
パラダイムシフト的大転換期の中で
ヨーロッパよりもさらにさらに
内情不安定そうなよくわからない
遠すぎる異国でいきなり皇帝就任、
結構なリスクだと思うのだが、、
一時的に留学とか海外赴任とか
いいけど統治とかって、、
と、思うとは思うんだけど、
ブランド力の高いオーストリア
皇帝の弟であるマクシミリアン
を傀儡として帝位に就けたい
ナポレオン3世がひたすらに
ゴリ押し。なんかあったら
俺が責任!くらいに、、
押したのだが!(たぶん)
ナポレオンは最後アメリカ
なども口出し始めて情勢怪しく
なったらあっさりマクシミリアン
を見捨て、結局のところ
仏軍なしで維持できないような
脆弱政権下での統治がうまくいく
はずもなく、多くの死刑反対の嘆願
があったにも関わらずメキシコ側は
外国勢力によるいかなる介入政権に
対しても妥協なし断固たる厳しい措置
をとるという姿勢を世界に知らしめる
ためマクシミリアンを見せしめ銃殺刑に処す。
メキシコ帝冠受諾シーンなど↓
エドゥアール・マネの描いた
処刑シーンではあえてメキシコ軍を
仏軍に置き換えているアイロニー↓
この時、城内にあったマクシミリアンの
肖像画写真を母や友人に送ったらなにかと
ダンナに雰囲気が、とか骨格かぶるとの
感想をもらう。。
ダンナ、ハプスブルグったのか。
また別の瞬間、普段さほど
写真を撮らないダンナが
たまたま撮ったマクシミリアン
写真は、、おもいきり亡霊風
仕上がりに、、
ダンナ、マクシミリアったか、
その次の別のお部屋は
別の時代に別の家族が住んでいた
エリアかな?
説明ちゃんと読んでませんソーリー
でもこのへんの部屋の方が現代風
で住みやすそう。
と、そんなこんなで
ミラマール城をきっかけに
普段ほぼ気にしていなかった
マクシミリアンのことを
たくさん考えたり想ったり
貴重なトリエステ訪問だった。
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