ノルマンディ地方を
代表するビッグシティ、
ルーアン。
前回お届けした
続きもうひとつ、
一時はアイドル的英雄
として絶賛支持を得て
称えられていたものの
後半は大人の事情で
あっさり裏切られ
えぐい異端審問裁判
にかけられ
1431年5月30日火刑に
処される乙女ジャンヌ。
数々の絵画や映画で
再現されるその有名な
処刑が行われた場所は
Place du Vieux Marche
ヴュー・マルシェ広場
という場所で、今日
ここはかなりたくさんの
レストランが立ち並ぶ
エリアとなっていて
観光客マストスポット↓
上の写真右方向には
この場に似合わぬ
なかなか前衛風
変わったスタイル
の建物があるのだが
それはジャンヌ・ダルク
教会だと、あとで知る。
&ジャンヌダルク歴史館も
あるのでジャンヌ極めたい
場合マストチェックです。
夜のヴュー・マルシェ広場
ここらへん
しょっちゅうレストラン
を物色しにきたわりに
あ、ちょっとインド料理でいいや、、
うーん、むしろそろそろ
アジアンが食べたいな、、
とかあんまり派手な食事
をしていないme&danna
川に近いPalais d’Asieという
アジアンレストランは
アジア人オーナーマダム
が結構なツンデレウーマン
なのだが最終的に目は見ない
けどダンナにわりと甘い、
などなど色々発見楽しく
ゴハンも全部おいしい!
イカの唐揚げ大好き。
やっぱりわたくしたちは
味覚が東洋寄りかしら・・
ちなみにルーアンの
ジャンヌ・ダルク推し
はかなりのものだが
ルーアン出身
17世紀劇作家
ピエール・コルネイユも
やんわり推しているなと
おもった。
コルネイユとかラシーヌ
といえば昔々日本で
大学生の頃はフランス
古典演劇の授業とか
とってフムフムなんて
思うふりをしてたもの
だが今考えたら別に
おもろないなとおもう。
若さってすごい。
でもだからこその
苦労は若いうちに
しておけである。
ところで、郊外などにある
大型ショッピングモールの
テナント店舗ではなく、
その街の、ど真ん中一番
繁華街にZARAの路面店
があるならその街は
「なかなか栄えている」
部類に、私の中では入る仕組み
である。ルーアンに来る前は
漠然と、シャルトルくらいかな?
ってな規模の小ぶりな町を
想定していたので来て見たら
いい意味で大きすぎはしない
もののしかし思った以上
に全然小さくない町で
ダンナも私もびっくりした。
土曜日の繁華街の混雑ぷり
なんかに至ってはかなりの
もので、、
人口密度も絶賛高め。
おそらく周辺ノルマンディー
小町や村の人びとにとって
十分すぎる大都会であろうか。
で、ZARAの盛り上がりで
その土地の女子やヤング層
傾向見る習慣なわけですが、
こ、これはパリより、
よっぽどだいぶ、
混んでるじゃあないですかよ!!
田舎のがらすきザラで悠々
ショッピングだわフフフ
と思って来たわりに
ルーアン市民の圧倒的ザラ熱
に気圧されて終わったリサーチ
であった。それもそのはず、
街を見回すと、ルーアンは
なにかと若者が多い。
学校、大学がたくさん
あるようでこれだけ
若者みるなんて
なんか斬新!
てな勢い。
しかし同時に私も
ダンナも20代くらい?
の彼らのキラキラした
ヤングオーラを行く
先々でながめて
いたら、わたしら、
ここにいると、なんか
結構年配層なんじゃ??
という自覚が芽生え、
ちょっと数年住んで
みようかなーくらいの
ふんわりした気分で
リサーチ来てたけど、
なんかよっぽど
転勤オファーでたとか、
または学生やり直す
とかでなければ
ここに住む意味って
今とくにないね?
そして率直にダンナ
通勤遠すぎるわ笑
という結論に至りルーアン
移住の件はさらりと
流れたme&dannaであった。
でも確かに思い返せば
大学院時代に周りで
ルーアン留学するという
クラスメートわりといたな
と思い出し、勉強メインとか
だとパリのようにやたら大き
すぎる町よりこの規模が
ベストだと思ったりもした。
ともあれかくもあれ総合的に
「もしかして住んでみるかも?」
という気分でするリサーチ旅
ってかなり楽しいねとダンナと
毎日気分盛り上がったルーアン
トリップであった。
パリから日帰りとかじゃなくて
せっかくなら数泊ステイして
町歩きや周辺ノルマンディー
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