山口県萩、
このまま毎朝焼き魚
が出てくるので
あろうか、、??
とドキドキしてたある朝
の旅館ブレクファスト
は意外にも洋な
ベーコンエッグで
西洋人ダンナ喜ぶ日↓
時差ボッケボケ
だが夜は大体
19時~20時の
間に就寝、朝は
6時オープンの
大浴場に合わせて
起床、のリズムが
大好きだった。
ある日は萩市を
見渡せる
展望スポット
に来るも
とにかくもう
毎日雨で。
ダンナに
「まつしたそんじゅく
とかもいかなくっちゃだしさー」
と言ったら
「松下村塾(しょうかそんじゅく)
ですからね♪」とにっこり
訂正される。
松下村塾とは幕末期に
吉田松陰が主宰した
私塾でその存在は
有名すぎて知ってたけど
(漢字まちがって言ってるわりに)
実物を目の前にしたら
あまりの、あまりの
ミニっぷりにびっくり。
こんなミニな畳数畳の
小屋空間でのちに日本を
根本からひっくり返す
明治新政府で活躍
した数多の逸材が
出てくるって、、
なんかすごすぎ、、
必ずしも設備とか、
空間がでかければ
いいってもんでも
ないんだなーー等々
とダンナと雨の中
うなり続けたのだった。
百聞てほんと一見に
如かずでしかないから
ここも萩に来たら絶対
マストチェックで。
場所は松陰神社敷地内。
神社敷地内に
松陰関連の
博物館などもあり。
常々、私たちは残された
肖像画?のイメージ
から松陰は結構年配の
お方となんとなく
思ってたのだが
安政の大獄で亡くなった
時は意外と意外と29歳
などでいらっしゃり、、
その事実にまたふたりで
たまげまくった。
29歳のころの
自分おもいだしてみ?
わしらは、、、ガキやで、、
つまり彼の生徒だった
長州藩の維新の志士
たちも改革やらなんやら
目覚める年齢がそれこそ
ティーンとかものっすごく
早い。早熟。
それから松陰が
尊王攘夷を唱える
わりに猛烈に外国を
その目で見たがったと
いうところが興味深かった。
たぶん誰よりものすごく
海外に行きたかった人
なんだろうなと。
松陰のあと活躍する
留学経験者だし、
日本人の、海外から
何かを学びたい欲
と飽くなき好奇心の
すごみのようなDNAは
今の日本人にもがっつり
流れているよねなどなど
ダンナと語る。
吉田松陰をしっかり
ハートに刻んだ
me&dannaの
ランチは何度も
通った道の駅
萩往還にある
ハンバーグ定食
だけでは飽き足らず
揚げたてコロッケも
むさぼるme&danna
萩の道の駅は
ほかにも
しーまーと
がお気に入りで
ここもおいしい物
食べ歩きが楽しかった。
もちろん近隣周辺
の道の駅もすべて
チェック済。
さて、萩、街のつくりは
すっきりとして道路広め、
人口が少ないのかあまり
人もおらずその点はすごく
気に入っていた。ただ、
想像を絶する悪天候続き
で1日中お散歩!という
テンションではなかった
けどまあ旅前半は温泉と
時差ぼけ治療がメイン
だったのでOK.
ある日の
ぶらり。
リュウグウノツカイ
が大きくてファンタジー
博物館のちかくに城下町
「おもしろき
こともなき世を
おもしろく」
て、ダンナが
ちょいちょい
読む句で有名な
高杉晋作の生家
などもある、
幕末のわりと
有名人がみんな
結構近所めなのも
おもしろかった。
とりあえず
京都や奈良みたいに
流行ってなくて
人はいないしゆっくり
できてヤマグティ最強
すぎるねーーと、
ぷるんぷるんの
わらび餅食べながら
今回も自分たちの
旅チョイスを祝う
me&dannaであった。
毎日が祝賀。
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