さて、こないだ、といってももうすでに
9月の話なんだが(! )上海を訪れた。
その動機はズバリ数か月前なにげなく
母から送られたこの一冊の本である。??✈
「わたしたちが孤児だったころ」
When We Were Orphans
両親は日本人だけど長らくイギリス育ちで
おそらくマインドはほぼイギリス人、な自身も
一風変わった環境で育つ日系イギリス人、
カズオイシグロの
この作品は、1900年代前半の上海租界に暮らしそこで
子供時代を過ごしたイギリス人クリストファー・バンクスのお話。
クリストファーは魔都・上海で両親が相次いで失踪した
ため10歳で孤児になる。
そう、今でこそ表面的には文明国並みに
発展してるけど、当時はもっとぐちゃぐちゃで
ごちゃごちゃだったであろう迷宮のような上海、、
実際、今だってちょっと細い裏路地に入り込めば、
こんなところで誘拐されたりしようものなら、雑踏に紛れて
もう二度と見つからないのでは?と思わせる怖さを含む街
そんな上海で少年時代を送るクリストファー、
早くに両親を失ったことも関係あってか成長して
イギリスで大人になってもなんだか少し変わった
世の見方をする青年に、でも、
大人になってからのクダリはまあいいおいておこう、
ストーリー自体も、後半著者ご乱心?書くの面倒になったとか?
またはわざと三文小説風狙ってるのかな?と疑うような無理やり強引
シチュエーション、唐突すぎの展開、とってつけた感ある
若干ドン引きクライマックス、読後感
「てゆうか、なんだったんだろうか?」という印象も残る、
しかしながら前半のわくわくキラキラ溌剌としながらも、かつ
ナイーブな子供の、なにげない日常なんだけどもあの海外在住者特有の
ふんわりした気分、これがこの小説における私のお気に入りパートで
あったのは自分も幼少期、父の仕事で赴任していた中国で駐在員の
子供として育ったことがあるからだろう。外国人の子供として異国で育つ、
言葉も、状況もなんなとなくわかってるようでわかってない、
使用人や、周りの人間の言うことも、わかってないようで、
だけど実はちょっとわかってたりもする、しかし感受性メインの
子供の世界ではそういう詳細すらあまり関係ない、常時漠然と
ふわふわした優しいものに包まれているけどたまにじんわりと
いいしれぬ恐怖や不安に襲われたりもするあのなんともいえぬ
感覚のないまぜになった懐かしい日々をこの作品を読みながら
思い出すのが心地よかった!!
ダンナと結構なる激しい雨に打たれながら☔
バンド、こと外灘をお散歩。これはカズオ本の表紙にある写真の
エリア。このあたりは官庁、銀行、高級ブランドのショップなどが
集中する、私の大好きな「アジアにおけるコロニアルな西洋建築」
が立ち並ぶお気に入りの通りである。しかしダンナはよく
このへんを朝からジョギングしたりするようだが大気汚染の
せいだろうかフランス帰るとしばらく器官の調子が悪い。
と、よく上海に行く友人にもらしたら上海で街中
ジョギングなんて無意味だし健康に悪いからホテルの
ジムにしとけと言われていた。そりゃそうだな。??
ところで今回学んだ中国語、
「蛋」
え?蚕(かいこ)??虫??
と毎度文字見るたび思ってしまうのがこれどうやら蛋白質の「タン」、
で玉子のことである。
私が心の底からヨモギ系のあんこまんじゅうと思ってた
この写真左の緑のまんじゅう、
説明はコレ
「蛋黄肉松青団」とある。
字的には非常に怪しい、しかし、
どう見ても絶対ヨモギまんじゅうじゃないの?!
と当時まだこれが「玉子」と知らぬ私、自信満々に買ったら、
なんと中甘くなくて、あんこでもなく、
黄色くて、玉子味だったのでガービーン?ショック。
ショックゆえダンナに食べてもらう。
もーなんなのなんなの蚕って~??
となってたらここでもでた
上海の人気小籠包のお店
佳家湯包で食べた「蛋黄鮮肉小包」
またきた、蚕!てか、蛋白質の(タン)!
で、食べてみたらこれはモロ玉子の味である。
ショウロンポウに玉子要素あんまいらないんだけどな、、と
おもうけど人気店なだけに売り切れ続出でこれがナケナシチョイスなのだった。
ダンナここ大好きらしい。私は鼎泰豊 ディンタイフォンが慣れてるんだけどね☝
でも帰りの機内で偶然上海人の女子と話したら
「ディンタイフォンは台湾のものだから上海名物とは言えないわ!」
と断言。うんまあそらそうだな。
店を出たらなんとなく知らない中国オジサンとジョジョ立ち風のふたり?
ダンナからまた中国一緒に行こうねと言われているので
そのうち再び開拓にくるかもしれない。その日までグッバイおおきな大陸✋
応援クリックしていただけるとありがたい!!↓↓↓