フランス・ノルマンディー、ヴェルノン。樹齢200年の
見上げるような大きな木々の生い茂る素敵なガーデンを
有する18世紀のお城、Château de Bizy ビジー城。
ここにはいまだに所有者一族が住んでいるとのこと。
お城に住んでるなんてスゴイ!!と、おもうと同時に代々
お城を持つ家はそれこそ固定資産税やら管理費やら相当な
ものだから手放す人がほとんどで、キープしていても一部を
開放したりすることでなんとか維持を続けるというのを
聞いたことがあるためいずれにせよ大変なことであろうなとおもう。
現在の屋敷の所有者はボナパルト兄弟、ナポレオンからの信任が
厚かったスーシェ将軍の末裔であるアルブフェーラ公爵一族
らしいが、古くはニコラ・フーケの孫、ルイ15世、
パンティエーヴル公爵、フランス王ルイ・フィリップ王
の所有であったとのこと。
ルイ・フィリップ(1793年 – 1830年)は世界史の教科書にも
結構でてくるのと特徴的ヘアスタイルで顔がすぐわかる。↓
彼は事実上ユーグ・カペーから始まったカペー朝と
その支流によるフランス王政の最後の王様。
ちなみに、ビジー城の中でひと際「やさしげでいいかんじ」
の表情の肖像画の人物は、ルイ・フィリップの祖父にあたる
ルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボンこと
パンティエーヴル公ルイ・ジャン・マリー(1725年-1793年)。
持ち前の高潔さからフランス革命時にさえも民衆から
慕われたという話がとても印象深く、持って生まれた徳の高さ
とか日々の行いというのはつくづく大事なものだよなとおもう。
しかしそんなルイ・ジャン・マリー、
祖父が太陽王ルイ14世で、祖母がルイ14世の寵姫で、妾出身な
割に宮廷で権勢をふるいまくって最後は物騒な黒ミサ事件で
失脚したモンテスパン侯爵夫人だったりもする。
太陽王ルイ14世
ルイ14世とモンテスパン公爵夫人の間に生まれた庶子で、
ブルボン家支流・オルレアン家の
ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン (トゥールーズ伯)
がルイ・ジャン・マリーのお父さん↓(1678年 – 1737年)
放蕩して早死にするルイ・ジャン・マリーの息子の
ランバル公ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン は
妻のマリー・ルイーズが王妃マリー・アントワネットの
マブダチ女官長としてマリーアントワネット系映画には
軽薄そうなポリニャック夫人とは対照的なキャラとして
なにかと出てくる人であり、また1792年、フランス革命時に
民衆からかなりむごたらしい虐殺をされたことで有名な人でもあり、
息子の嫁の斬殺やルイ16世の処刑に心をいためすぎた
ルイ・ジャン・マリーの精神的ショックは大きく健康を
回復せぬまま1793年にビジー城で亡くなったそう。
Marie Thérèse Louise de Savoie-Carignan(1749年-1792年)
マリー・テレーズ・ルイーズ・ド・サヴォワ=カリニョン
息子を早くに失った父パンティエーヴル公の財産は、
オルレアン公ルイ・フィリップ2世と結婚した娘、
ルイーズ・マリーによってすべて継承された。
彼女が最初の方でふれたルイ・フィリップ王のお母さん。
Louise Marie Adélaïde de Bourbon-Penthièvre
ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴル(1753年 – 1821年)
革命やらいろんな歴史を経て、いまだにこうして
この場所にお城が残されていること、ロマンチックで
気品あふれる第一帝政時代ゆかりのインテリアなどなど、
様々なことに思いを馳せながらこの空間で時間を過ごせて
とってもハッピー。
やっぱりお城めぐりは定期的におこなうと最高!love城forever
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